怒る富士 - 新田次郎
タイトルの「怒り」。これは作品の内容を表したものではあるが、作者の気持ちを代弁したものと捉えるのが一番だと思う。その対象は自然に対してではなく人間。
新田次郎は「山岳小説家」として名を馳せているが、作者自身がそのような呼ばれ方を嫌っていたし、いくつかの作品を読んでいくと「山を通じての人間」を描いている事が解る。そして厳しい自然への描写から作者の暖かい人間へのやさしさが感じられる。これが新田次郎の作品を読んだ時に感じる満足感だと思う。
この作品もタイトルに「富士」がついているが山の話しではない。
1707年(宝永4年)に起きた富士山噴火の話しで、そこからの復興に向けての話。
そこには将軍から幕府重鎮、代官、庄屋、農民と様々な人間の立場がある。
そして、組織が有れば権力闘争があり、中央の幕府と被災地との隔たりは大きくなって行く。
ただ、何時の世でも権利でなく支える人が大事なのを解っている人がいて、後世になって評価される。
たまたま尽力した伊奈半左衛門忠順が地元の人で、彼が作った見沼周辺を何時も走っているから余計感情移入が出来た。
何時の時代も時間と共に忘れ去られ、苦労をするのは残された人間で中央は様々な理由を盾に遠ざかって行く。
元々は昨年に手に入れた本だか、最近読んだ。東日本大震災の後に読めた事は、無宗教だが何かの啓示を感じる。その位今回の状況に似ているし、大変な事。
ただ、今の富士山麓、特に須走村周辺は何事も無かったかの様な土地が残っている。
確かにとてつもなく長い年月を経て復興したのだろうが、できなかったわけでは無い。そして今でも富士山への畏怖と尊敬は残り、富士と共に生きようとしている人がいる。
東北の被災地も、今は様々な専門家達が主導して高地への移転を行っているが、長い年月の後には海辺に暮らす様になると思う。それだけ海と共に生きてきた歴史があるし、都会の様な土着の少ない土地以外は簡単に移動出来ない。それだけ土地は強く、日本の歴史そのものになっている。
小説だが史実を基にして書かれた本。
正式な古文書などの扱いはわからないが、曲げられてはいないはず。
宝永の大噴火はこのようにして今に伝えられているが、東日本大震災も同じようになるのだろうか?
阪神淡路大震災もまだ消化されていない。
強制はしないが、是非に読んで欲しい本です。