最近不況で仕事が少ないためにコンペをやっています。
コンペとは「ある課題に対して設計案を提出し、審査員が当選案を決定する」というものです。要はコンテストです。
コンペの規模にもよりますが、一つのコンペで少なくて10案位、多いと500案を超える応募が有ります。その中を勝ち残るのは並大抵では行きません。
このような確立の低いコンペよりも実務をやった方が利益率が高いと思いますが、不況の現在はその実務の仕事が少ないので社員を遊ばせておくよりも、可能性は一応有るしその為に建築思想・表現・スケジュール管理など色々訓練できるのでコンペに参加した方が良いのですね。
まあ、どんな仕事も特命で無い限り競争相手がいるのでコンペだといえるのですが。
殆どのコンペでは提案方法がA2用紙1枚などの形式で求められます。時には数枚提出できるも有りますが、基本的には1枚物が多いです。
みんな色々な表現方法で提出していますが、僕としては広告・ポスターを作る考えでやっています。駅に掲示されている大型広告や新聞の一面広告です。
数多くの提案を見なければいけない審査で残るには「一見して伝わるインパクト」が不可欠です。どのような良い案でもそれを簡潔に伝える表現をしなければなりません。まあ用紙一杯に文字を書き綴った提案と言うのをまだ見たことが無いのでそれも方法の一つとして捨てられませんが。
この「一見して伝わるインパクト」というのは広告の永遠のテーマですね。CMでもポスターでも人を引き付けるために色々と試行錯誤しています。必要情報は最低限です。それ以上知りたかったら別資料を見てもらえば良いのです。今ではWebとかですね。
コンペでもこの考え方が当てはまります。「読んでもらう事」「興味を持ってもらう事」「知りたいと思わせる事」これらを最低限の表現でやることが重要です。そうしないと二次選考に進めません。細かい事は二次選考で伝えれば良いのです。
元々審査員も一次の時点でそれを求めてはいないと思いますし、そもそも用紙一枚の表現で何千㎡もある建物の説明など出来ません。
こうなると「何を表現するのか?」がとても重要になります。
最近になって思ってきたのですが、僕としては「建物」を表現するのではなく「プログラム」を表現するべきだと思います。
建築をやっている人間として「建物」を捨てることは勇気が要ります。なぜならそこに存在証明があるから。やはり意識としての「建築」より物質としての「建物」に執着してしまいます。
しかしコンペで求められているのは「建築」です。
そして建築は箱としての建物だけでなく、そこで動く人々、空間の力によって導かれる所作、建物の機能によって昇華されるプログラム、この他様々な要因が満たされるものです。
僕は決して建築を芸術とは思わないですが、しかし何かを持っているとは信じています。
そしてコンペで重要なのはその「何か」を表現する事だと思います。
そもそも課題を出す者からすると、建物が意匠的・構造的・設備的・環境的など建築に携わる様々な要因を満たすことは当たり前の事です。設計者がいくら頑張って新しい技術を使い効率の良い建物を設計したとしても、受け手としてはそれは当たり前の事。「設計者(プロ)として最低限満たして当然の事」でしか有りません。
しかし設計者も人間ですし性が有り、自分が色々考えて新しい技術を使い、建物として良い物を設計したらそれを前面に押し出してしまいます。だがそこには受け手との越えられない壁が存在します。
コンペの主催者はその先のプログラム「その建築によって新しいどんな思想がもたらせられるのか?」を求めています。
病院・ホール・役所などどんな建物にもそれぞれそれらを得意とする専門家がいて、そういった設計者に発注すれば無難な建物が出来ます。しかしコンペを開催する人はそのような物を求めずに、そういった既成概念を打破したその先の建物を求めています。
即ち、新しい考え方で規制の物をコントロールし、そして上のレベルに発展させる、そのような力を持った建物を意匠的・構造的・設備的に満足させる(時には革命的な)建物を提案することを求められているのがコンペです。
しかしそれは単なるアイデアではいけません。実現できる裏付けが無くてはなりません。もし当選した時に実現出来なければ意味が無いですから。
そして忘れてはいけないのが、普段の仕事でも同じ事をしなければならない事です。
テストです
iPhoneから書いてるよ
iPhone良い?