虐殺器官 – 伊藤計劃
少し前に教えてもらい、実は傑作と知りつつもやっと読めた作品。定期的(といっても4.5年だけど)にネットや雑誌で話題作や定番は調べてリスト化してるが、何故かこの作品は入って無かった。やっぱり情報は偏るのかな。あと、リストも膨大過ぎて余り見ないので、それを元に探す事は少ない。色々と問題が有る(笑)
作品はというと、本当に素晴らしい。
最近の僕の好みにも合っていて、読み終わるのが勿体無く感じた。普通は話の終わりを無意識に求めながら読む事が多いが、この作品は本当の最後の方までずっとその世界に入っていられる。作品と感じさせず、日常と感じるくらい描かれている世界に違和感が無い。
書かれたのが2007年で近未来を扱っている。恐らく2020〜30年くらいを想定していたのかもしれないが、残念ながら現実は作者の想定に追いついていない。しかし凄いのは、想定して描かれた内容が間違っていない。数少ない実現した事や、実現していなくても今考えられている方向性は、作品で想定された方向性と一致している。
これによって作品は古くならずに、未だに近未来を扱った作品として読む事が出来る。
軍隊を扱っているので兵器の進化が多く描かれているが、同じくらい日常生活での進化が描かれている。その進化に無理が無い。流石に技術は描けないが(描けたら実現している)、その様になった理由や求められた訳、それによる長短所や影響などがとても納得がいく。その大元に人の欲望が見えているので余計に現実味が増している。
話の中で僕が一番考えさせられた事は「言語」について。
作品中何気なく「言語、コミュニケーションは突き詰めると『好き』『嫌い』だけになる。それを伝えるために様々な言葉や行動をしている」といった旨の会話が出てくる。
これには衝撃を受けた。
考えてみると確かにこれは正しい。
例えば今僕が書いているこの文章。様々な言葉を使っているが、結局はこの作品が好きだという事を伝える為に書いている。好きだから人に知ってもらいたいと考えるし、好きだから記録として自分の意識に残そうとしている。これは嫌いでも同じ。
無意識の行動でも、その根本は好きか嫌いになる。
誰かを助ける時に無意識に身体が動いたとして、無意識に助ける為に動くとは無意識に好きと考えているから。無意識に嫌いと考えていたら、無意識に身体は動かない。
この感覚は凄い。
恐らく当分の間、僕の意識を占めて無意識に考え続けると思う。
その他にも多々考えさせられる事が有り、少し前のSFだが今現在で未来を考えるきっかけになる。前に落合陽一の本でその様な感覚を受けたが、小説で得られるとは予想外だった。
残念な事は既に作者が亡くなっており、新作が出ない事。若くに亡くなり、作家としての期間は3年程しか無かったらしい。しかもこの作品は約10日で書き上げたとの事。昔から考え頭の中で出来上がっていたのかもしれないが、この内容を10日というのは尋常じゃない。残された他の作品も良いと聞くので、楽しみとして大事に読んでいこう。