意識と無意識の練習

去年の6月くらいから同級生のプロギタリストがやっているオンラインレッスンを続けている。

レッスン以外にも同級生で色々話せるので、異業界の話や裏話、単なる雑談だからこそ解消出来る在宅のストレスを軽減出来るカウンセリングにもなっている。

 

レッスンを受けると言うことは練習が必要になる。この歳で新たでは無いが、昔に適当に覚えた技術などの学び直し。

そこで色々と気付きがあった。

 

前に何かで見てうろ覚えだけど「練習とは意識的に行う事を無意識に出来る様にするために行う」みたいな言葉を読んだ。

今回久しぶりに練習をする事になって、これはギターの練習だけでなく様々な練習、もっというと仕事を始めとする技術の習得や新たな意識の習得にも同じことが言えると気付いた。

 

技術を習得するための練習では「1:やる事の理解と実践」「2:1を確実に出来るようにするための反復練習」「3:確実に出来ると思っていた2を再び意識的に考える事で濃度が高まると共に、意識的に動きを制御出来るようになる」「4:3の意識的に制御できる事を無意識に出来るようにする」

1が意識的で2が無意識。再び3が意識的で4が無意識になる。

1.2と3.4で違うのは「無意識で出来たと考えていた事を認識しているか」になる。

2と3の間には壁が有り、それを超えるには「認識」「謙虚」「向上心」「好奇心」など、意識的な部分とそれを認めて乗り越える努力をする必要が有る。

 

例として丁度自分が行っているギターの練習だが、1小節のカッティング(伴奏)パターンがある。

最初に押さえ方と弾き方のバターンや響きなどを確認し、体に染み込む様に繰り返し練習をする。

次に固く聞こえない様にリズム感やノリを出せる様に、強弱や微妙なタイミングや細かい技術を習得する為に繰り返し練習し、無意識に出来るようにする。

スポーツなどを考えると分かり易いが、基本的に体の動きを意識的に考えながら動かしてはいない。例えば投げる時に「肩をどの様に使い、肘を肩より上にセットし、肘を先行で動きながら滑らかに手首から指先まで使う様にする」なんて考えていない。

しかしこの時点で無意識に出来ていたと考えていた部分は、実は色々課題がありその先へ進めない。どこかで間違いを犯しているのだが、それを洗い出すには自分の出来なさを認める必要があり、同時に知る事によって気持ち良く出来ていた事を再び壊さなければならない。この心理的なハードルは高く、中々乗り越えるのは大変。「ま、良いか」「自己流で行こう」など理由を付けて避ける事が多い。

自分のギター練習の例に話を戻すと、無意識に出来ていたと思っていた事に色々な課題がある事が分かった。課題というより、そもそも間違えていた。

「出来たと思っていたことが出来ていなかった事を認める」という事は、他の言い方だと「解像度が上がった」になる。しかしこれに気付くには一度挑戦をして失敗をしなければ到達出来ない。ギター練習という誰にも迷惑を掛ける事で無いからこのサイクルが早く気付くが、仕事の技術や意識の習得では中々早くサイクルを回せない。恐らく失敗する事への恐れと、出来ていない事を認める恐れだと思う。

しかしこれはPDCAを早く回すと同じ事で必要な事。

自分の場合、覚えていたパターンを間違えていたり、音を切るタイミングや、出す音のタイミングがずれていた。

この時点で1-2と進んでいたが、今回の間違いだと再び1へ戻るになる。そもそもを間違えていたので。

これを繰り返す事でふとしたタイミングに2から3へ移行する。今回は16分で腕を振っているのだが、音を出すタイミングや切る長さによって一定でなければならない振り幅が変わってしまう。左右の手が違う動きをするので最初は仕方ない。

繰り返す事で無意識に腕を振れる様になるが、その無意識は偶々出来ただけの無意識で意図的に動かそうと思った時に出来ない事が多い。それを学び直すのが3で、その先に4が有る。プロと呼ばれる人はこの長い道程を行ってきているので、応用が利くし何時でも出来る。

 

この考えに気付いた時に、自分の本業である建築設計に対してどこまで出来ているのだろうと考えた。

結構な部分で出来ていないと感じた。そして出来ていない理由は経験数も少しは有るが、そもそもしっかりした知識とその意味を把握していないからだと知った。

ある意味では、本業で出来ない事を今気づいたという恐怖でしかない状況だが、発想を変えると今気づいて良かった。

 

という事で、何時でも学ぶことは必要なのだなと。そのきっかけは色々な所に転がっているので、様々な事に意識を持ち、経験をしていく事が必要だと学んだ。