建築と写真

五十嵐太郎氏の「現代建築に関する16章」という本に、建築と写真について興味深い文章が有りました。
昔は当然ですが情報量が現代よりずっと少ないです。
なので建築に関する情報も今よりずっと少なく、今では当たり前の考えが当たり前でなかったと言います。これは当然の事だと思います。
ローマ帝国の時代では「場所によって風土や気候が違うので、建物もそれに合わせた方が良い」という、今では当たり前の事がえらそうに書かれていたらしいです。
確かにローマ帝国まではどの国も国土が小さく、国内で同じような建物を建てていても支障が無かったでしょう。
それに他の建築を見る機会も無かったと思うので、同じような建築になっていってしまったと思います。
それがローマ帝国が建国されたらとても国土が広かった。
それこそ端と端では全然気候などが違う、今の日本の北海道と沖縄みたいなものです。
そこで初めて「場所に依って建物を合わせた方が良い」という、現在で言う「場所性」の考え方が出て来ます。
この様に昔から情報と言うのは建築に大きく影響してきました。
昔は建築の情報を伝えるのは、文章・絵画・図面でした。
しかしそれでは不十分な情報しか与えられません。
文章は書き手の文章力にもよりますし、受け手の読解力、知識にも左右されます。
図面はそれこそ専門の知識を持っていないと読む事が出来ません。
絵画については他の2つより分かり易いかもしれませんが、書き手の巧さにもよりますし、図法も今程進化していません。
パースペクティブな絵などは確か1500-1600年位にやっと確立された位です。
それでも印刷技術が確立されてからは、印刷物で情報の共有が出来ました。
しかし個人個人の想像力を求められます。
それが写真が出来て、印刷物として世の中を巡るようになったら一気に今までの均衡が崩れ、写真一枚、それだけで事足りるようになりました。
まさに「百聞は一見にしかず」です。
それも最初は白黒でしたが、今ではフルカラーです。
カメラの性能も良くなって、本当に現地で見たままの写真が撮れるようになっています。
しかも今ではそれをすぐにデジタルで世界中に配信出来ます。
現在では「建築写真家」という職業も確立されています。
またあえて白黒で撮っている写真も有ります。
写真が建築の多様化と同一性をもたらしています。
多様化と同一性、相反することですが、実際に共存しています。
写真を見て情報を得る事によって、その建築と同じにならないようにして多様化になる。
また逆に写真を見る事によって参考にされ、同一化される。
これだけ情報が溢れている現在、完全なオリジナルなどは不可能に近いです。
少し前までは静止画だけでしたが、今ではは動画も自由に共有出来るようになり、その造り方なども解るようになっています。
今では写真無くして建築をイメージ出来ない位になってきています。
図面を見ただけでは空間をイメージ出来ない。
それはそれで大変な問題なのですが、現状ではそうなってきています。
当たり前のように接している写真と建築ですが、建築を造る側としては気を付けて接して行かなければと思います。