6月7月と続けてTOTOの開催する講演会に行ってきました。
最初は6/9の北海道出身の建築家・五十嵐淳の講演会「状態の構築」
続いて7/27のチリの建築家・アレハンドロ・アラヴェナの講演会「The Forces in Architecture」です。
6月のは震災の影響で開催が遅れた旨のメールを受け取り、たまたまここ数年、五十嵐氏の事が気になっていたので申し込んでみると当選した。
五十嵐氏の作品は僕にとって思想・技術・形態などを問わずに訴えかけてくるものがあった。
もちろん作品には思想・技術・形態などが何度も検討された上に反映されているけど、それ以上に単純に「良い」「好き」「解る」と言えた。
これは個人的にはとても大事な事で、建築をやっている上で他の建築を理解する事は大事で必要だが、それを何のフィルターも無く受け入れられる事は少ない。殆どが作品を見てから理解する間に「個人的な思考」が働き補正され、その上で建築として建物を理解している。これは僕自身が建築的に未熟なのも有るが、それ以前に「出来るだけ純粋に」建築を見ようとしている事も影響している。理論よりも「好き」「嫌い」の判断を優先している。そして好き嫌いは「白が好き」「黒が好き」と言われたらどうしようも無いように、人間の根本的なものだと思う。
建築をやっている上で理解する事や幅を広げる事などは重要だが、そもそも「何で建築をやっているのか?」と問われると「好きだから」に帰結する。そしてその感性は大事にしなければいけないと思う。確か誰か有名な運動選手の引退理由に「趣味が仕事になった」と有ったが、好きだからこそ純粋になれて一生懸命になれると思う。
その意味で五十嵐氏の作品を「好き」と受け入れた事は重要であり、数少ない事。
有名建築家の中では槇文彦・安藤忠雄・岸和郎・内藤廣・ヘルツォーク&ド・ムーロンくらいかな。
略歴を覗くと、学生時代に安藤忠雄に夢中になった事から根本的な思考が似ているのかも知れないが、それ以上に変に理論的で無い事が受け入れる理由かもしれない。
安藤忠雄の本・対話などもコンセプトなどの理論・思考的な事は少なく現物主義。「良いから建物を見てくれ」と作品から伝わってくる。同じ匂い、強さが五十嵐氏の建築にもあった。もっと実作主義が強い建築家は谷口吉生。
その強さは北海道のオホーツク側の佐呂間から来るのか。そしてそういったイメージは僕が北海道の道北・道東に心酔しているから来る贔屓なのかもしれない。
もちろん直感以外の事も理解しなくては自身の為にならず、憧れ・参考・体験だけではいけない。むしろ「敵」として相手の手の内を探るくらいの気持ちで行かなければならない。そして良い部分はどんどん吸収していく位でないと、僕くらいの実力・立場の人間はそこまでで終わってしまう。
また、独立してしまえば全ての建築家はライバルとなる。
その様な感覚で講演を聴いたり、本を読んでも、五十嵐氏の建築に対する考え方・手法はとてもスムーズに入ってくる。敷地から発想する方法や形・コンセプトなどは十人十色であり、それを受け入れる・納得するなどは先の「好き嫌い」と同じで突き詰めても仕方ない部分がある。しかしそこから思考し、検討し、建築にしていく道筋・手法がとても無理が無く、また有る意味シンプル。良くある建築家の思い込みの様な、無理な思考と現実との境界が無い。
例として「四角を造りたい→角をきれいに造る→屋根と壁の取り合いをシンプルに造る」
これは当たり前の事かもしれないけど、雨仕舞など他の要因を考えると難しい。どうしても屋根勝ちに納めてしまう。しかしここに五十嵐氏の様々な強さが有り、様々な段階を経ているはずだがシンプルに、そして寡黙に納めている。
また、五十嵐氏は講演会の為にわざわざ資料を造っていない様に思える。
使われた資料は全て、実際に施主などに説明するために作成された物ではないか?だからなのか、とても解りやすいし納得できる。
一般的に講演会などではコンセプト的な資料が多く、技術的な資料は今まで殆ど見たことが無かったが、今回の講演会では壁の仕様などの資料も出てきた。考え方によっては全ての資料が技術的だったのかも知れない。そして講演会だから当然だが、全ての資料が完成した建物に無駄なく直結していて迷いがない。だからこそ聴いている方も引き込まれていく。これは実際に説明された施主も同じだと思う。一人に説明するか、多数に説明するか、手法は様々だが「伝える」という目的は同じ。
同様に話す内容についても大まかしか決めていない様に思える。
僕が聴いた限り、建築家の講演会で原稿を読んでいる様な講演は無かったが、それでもある程度の構成は決めて話していた。また、講演会も営業的な部分があるので、それに繋がる内容も出てくる。しかし五十嵐氏の講演は、本当に自身の歴史を順に話している状態で「俺はこうやってきたよ」と飾り立てずに進んで行く。資料として今までの分全てを用意して、後は自分が思うままに語っていく。正に「語っていく」と表現するのが良い講演。
それだからか、時間の許す限り幾らでも語ることが出来る。作品に多大なエネルギーを掛けていればいるだけ語る事はできるが、語りすぎると冗長になってしまう。ある部分ではきっぱりと謎にしておいて、ある意味聴く側に考える部分を残してくれている。
逆に幾らでも語れてしまうので時間一杯になり、質疑応答の時間がなくなったのは残念だった。
講演会の話し方などで、建築だけでない様々な背景や思考の速さなどは判ったが、質疑応答での予期していない質問への対応でより一層浮かび上がる。それには質問者のレベルも重要になってくるが。
今回は講演会は行けたが、展示会には行けなかった。
最近情報収集を怠けていたツケが廻った型。
調べてみると今後も都内で五十嵐氏関連の展示、講演はやる予定なので、逃さない様にしないと。