罪と罰

罪と罰 - ドストエフスキー
ISBN:978-4102010211

「罪と罰」なんとなくことわざや格言の様な気がします。
ちょっと調べても出てこないので、このタイトルが作者の付けたものであると思います。
しかし、僕だけの感覚なのかとても有名な言葉な気がして、やたらと強い言葉な気がします。

タイトルから想像してとても難しく高尚な内容なのかと思い読んでみると、そんな事は無い。当時のロシアの時代背景や、男子・大学生・文学などの考え方や常識からしたら主人公の様な人間は正当化されて志高い人物として受け入れられるのかもしれませんが、現代において考えると単に優柔不断の自己中心的な人物です。その葛藤や思考などを考えるのが正しい?読み方なのかもしれませんが、その当時の考え方などの違いを基本条件として受け入れた上で読む事が出来ないとこの本を読むのは相当苦痛になると思います。これは時代の違う文学やそれこそ歴史を読む時に当てはまりますが。

ただし、現代の考え方を主体として読んだ時はそれこそ男尊女卑や偏った考え方が当然の様に進むのを感じながら、戦前の日本でも同じ様な事が行われ、だからこそ日本の近代文学も似たようなのだなと学習できます。ドストエフスキーはこの後他の本も読んだのですが、根本的に太宰治と同じ空気を感じます。それも斜陽・人間失格などの暗い時の。間違っても走れメロスでは有りません。

現代において現代に書かれていない文学や文章を読む場合はどれもそうですが、現代の思想と当時の思想を比較してその間を理解・学習・吟味やら、違いに戸惑ったり・馬鹿にしたりやら、この時代が有るから今が有るなどと勝手に思ったりして読むのが楽しむコツなんだと思います。逆に自分の考え方に固執して、当てはめようとしながら読んでしまうと長続きしないでしょう。特にこのような長い本は。

作中ずっと曇って湿った様な空気が続き、色々と時には理不尽な事が淡々と続きます。短い範囲で読むとそれぞれに山場は有り、次への展開が見えるのですが続きません。しかし忘れた頃に続きます。ある意味複雑に仕組まれた内容なのですが、その必要性はわかりません。
1度で無く、数回読まないと理解出来ないのでしょう。

また、これは本文より訳の問題なのですが、個人名称が統一されておらず慣れるまで苦労します。
1人の「山田太郎」が文章中に脈略無く「山田」「太郎」「やまちゃん」「たーくん」など勝手に出てきます。外人の名前にありがちな本名から想像つかない名前も出てきます。「山田太郎」なのに「けんちゃん」みたいなのが。これは珍しい事では無く、それこそ「豊臣秀吉」では「豊臣」「秀吉」「太閤」「猿」「関白」「籐吉郎」などと書かれるのはそれ程問題ないのですが、それは基本知識が有るおかげ。ロシアの知識など無い人間からは、その感覚になれるのから始まります。

ただ、恐らく表面だけの結果でしょうけど、終わり方がはっきりしているので読み終わった後の感覚は良いです。それこそ最後の数ページが言いたいが為に長い物語が有ったのかと思わせるほどです。その言いたい事も特別で無いからこそわかり易い。個人的には「夢オチ」に匹敵する印象です。
多分数回読んだりすれば途中の部分からも色々と得るものがあるのだと思いますが、これだけ暗く、長い文章だと中々度々読む気が起きません。

結構いい加減なことを好き放題書いてますが、逆に言えばそれだけ印象に残った本である事は確か。個人的には好きな部類ですし。
ただ、タイトルだけで読むと全然違う印象を受けると思います。