怒り

怒りと言うものは行動を起こすための起爆剤となる。
くやしさ、屈辱、見返す事、みじめさ、自分の力のなさ、色々な感情の葛藤を経て「現状より上に行きたい」となり自分の力となる。
一般的には思春期の反抗期にこの「怒る事」を覚えるのだろう。
それ以前に人間の感情として怒る事は幼少より培われていくものだと思う。
自分の場合は幼少より怒る事が少なかったと思う。
そして思春期にある反抗期を経験しなく成長してきた。
それは家庭環境に有ったのかも知れないし、個人の感情がそうさせたのかも知れない。なぜ反抗期が無かったのか?その理由はわからないけど結果は残っている。
自分自身で考えてみると「怒る事」を覚える前に「許す事」「諦める事」を覚えたように思えます。
思春期に皆が怒っている姿を見てなぜ許せないのか?なぜ無意味に怒っているのか?と感じている自分がいました。それは単純に怒る事で生じる自己責任を消化する度胸が無かったのかも知れません。
思春期を過ぎてから今まで自分のテーマは「いかに感情、特に怒りをコントロールし許す事」でした。
時としては大事ですが、仕事などで人間として作った怒りでなく反射的に生じる怒りをする人は幼稚なのだという考え方です。
子供を教育するため、部下を教育するため、いけないことをやった人間を戒めるためになど自分の感情をコントロールして怒る事は大事だと思います。しかしそういったこと以外で単純に自分が気に入らないから条件反射して怒る事は恥ずかしい事だと考えています。
このように育った自分に対して「怒る事」を教えてくれた友人がいます。この年で教えてくれた事に感謝します。
しかし恐らく自分は感情に任せて怒ることは無いでしょう。
自分自身に対して「悔しい」気持ちはこれから強く持つようにしますが。
友人は「怒り」と言う言葉を使って伝えてくれました。まず最初に親への怒りをもつことで自我が芽生えると。
自分の場合は親へ怒りをもつことは友人と話したことで幼少教育が不十分だったことを知ったので有るでしょう。しかしそこでも自分自身に「それは自分が理想どおりに育てなかった事に対する責任転嫁でないのか?」という疑問が残ります。
知識を得る事で色々な事を知り、自分の処理範囲を超え知識のオーバーフローをし、その原因を確認する過程で苦しみその結果として怒りがある。自分はそう考えます。そして自分はその結果が怒りではなく許すことで有ったのです。
実際にどちらが正しいかは判りませんし誰も判断を付けることも出来ません。自分が死ぬ時に納得できたならば正解になるのでしょう。しかしこれから自分が生きていく上で「怒り」も「許し」も必要な事で、自分には「怒り」が大きく欠如している事は理解することが出来ました。
一応これでも思春期ぐらいから自分自身の性格を自分でコントロールしながら変えてきたと思っています。
それぞれの時代ごとに自分のテーマを決めて性格を形成しそれを保つようにコントロールしてきました。
しかし本当のそれが出来ていたか、それを自分で判断できれば良いのですが人の性格を判断するのは自分ではなく他人なので自分自身で知ることは出来ません。
ただ確実な事は、これからでも自分は変わる事が出来る。
どこかの大統領みたいになりましたが、それは確かです。
今回すぐに結果を出さなくて良いことを許されました。
しかし出来る限り早く結果を出さなければならない事は変わりません。
また新たなる許しを得るために自分を変え、成長させたいと思います。

この記事へのコメント

  1. 「わたしはだれ?」
    「世界はどこから来た?」
    「3000年を解くすべをもたないものは、
     闇の中、未熟なままに、その日その日を生きる」
     ヨースタイン・ゴルテル
     ソフィーの世界 より
    大ベストセラーには大ベストセラーになったわけがあるんですよ。
    よむといいとおもうよ。。。
    暗記するくらい読んだなおれは・・・
    自分を冷静にコントロールできているような気でいても
    まさにと無意識の世界、まさに自我、まさに自分自身は自分の真実が見えていないもんだよ。
    多くの人がそうだよ。
    自分がいったいなんなのか、
    世界はなんなのか、
    そういったことを気づかせてくれる良書だよ。

  2. >>マナリシ
    元々そういった世界は好きだから必ず読む。
    試験勉強と天秤掛けながら読む。
    終わったらちゃんと読む。
    ユダヤ人が頭良いってイメージがあるからユダヤ教の経典に興味沸いて読んだけど、宗教関係を考えている本は面白いよね。
    自分が無神教だから安心して読んでいるのだけど。
    確かに自分で意識しているつもりでもそれ自体が無意識に選んでいることだからなー。
    自分が何者であって、何に向かって生きていて、それが正しいのか正しくないのかは判らないし。
    正しい、正しくないと言う事で判別することがそもそもナンセンスであるかも知れないし。
    それを悩む事で人は成長するのかもしれないし、無駄なのかも知れない。
    「人生は長い時間潰し」って考える人もいるけど、俺はその時間を自分が納得する形で有意義に使って死にたいね。
    思考をやめたら終わりだと思うし。
    ただ、時には何も考えたくない時もある。
    進めば進むほど矛盾だね。
    気付かせてくれた君には感謝だよ。