古代において鉛筆、紙を手に入れたことで人間の思考スピードと意思疎通は格段に飛躍したと思う。
何かを思いついてもそれを記録しておく方法が無く、記憶しておくしかなかった。
自分の事を考えて見れば判るが、それではアイデアを残すのは難しく、思考が進まなくなる。
そしてそれは何時しか忘れてしまう事が殆ど。
昔は文字がなく、意識共有が難しかった。
言葉で共有しようとしても、現代でさえ感覚の部分で伝えるのが困難であるように、どこまで正確に意思伝達が出来たかわからない。
例えば「赤」でも人それぞれの赤があり、「暑い」でも人それぞれの暑さがある。
正確にデジタルの様に定義されているものはお互い共有できるが、それこそ昔はその定義されている事すら殆どないのですれ違いが多かったと思う。
そしてある時文字・記号を人間は手に入れた。
しかしその時点でも瞬間として考える手立てでしかない。
文字を手に入れても、書く場所は地面などの自然物。持ち歩けないし、瞬間的にしか記録できない物が多い。
その場で色々考えても、それを別の場所で伝えるには言葉でしかなく、後は実物を見せるしかない。
その後地面、岩などの固定物から、板切れなどに書く様になり、紙が発明された。
恐らく先に筆・鉛筆のような物が発明されて、文字と地面が離れていった。
しかし、その時点では消しゴムの様なものはなく、失敗すれば最初からやり直さなければならなく、今の様に紙の上で思考出来たのかは微妙。
例えば現代でスケッチを繰り返し、不要な物は消しゴムで消し、少しずつ思考を高めていく。多分紙を使わないでやれと言われたらなかなか出来ないと思う。
現代では紙・鉛筆・消しゴムが揃っていて、アナログ的に思考する事が出来る。
そして、パソコンが普及してきて文字の記録の仕方が変わってきたが、いきなりキーボードを叩いて文章を構成するのはかなりの個人差がある。
文字だけならどうにか出来ても、その他の空間や造詣・時間などを概念的に考えるには、文字でない何かを紙に書いて思考するので、決まった記号しか書けないパソコンでは制約がついてしまう。
せいぜいペンタブレットなどで自由に書いて、紙の変わりにデータに残すのが関の山。
しかし、世代は変わっていき物心付いた時からパソコンなどに触れているDigital Nativeだと、それまで紙でしか構成出来なかった思考を直接パソコン内で構成出来ているのかもしれない。
そもそも紙と言う物質がないので、文字が記録に残る、発言を残しておくと言う概念がないのかもしれない。全ては瞬間でしかなく、過去は気にしない。
それはそれで新しい形態かもしれないが、やはり社会としては歪が生じてくる。
だが、文字を手に入れた瞬間、紙を手に入れた瞬間と同様に、新たな意思伝達の手法を手に入れた事は確か。
デジタルになった事で、簡単に複製が可能になり、ネットワークを手に入れた事で瞬時に世界レベルで共有することが出来る。
行為の密度・責任と結果が反比例するようになった。
新たな思考形態の時に入っているのかもしれないが、本人はそれほど気づいていないのかもしれない。