建築と一言で言ってもその定義は色々で、建築基準法の「建築」と辞書に載っている「建築」は違うし、建築家が言っている「建築」も違う。極端に言えば建築家の数だけ「建築」の定義はあると思う。
建築家が言う建築は、その中に思想的なもの、哲学、芸術などを含む場合が多い。そしてその定義は先人の建築家が定めたものを土台として自身で決めている。
・建築と都市は一体である
・建築と都市は別物である
・建築は美しくなくてはならない
・建築は機能的でなくてはならない
等々…
どの定義も自分自身で定め、それを目指し、守り、進化させるために建築を表現している。
自分などはまだ駆け出しなので定義を探している最中であるが、最近では「定義が無いのが定義」とすることも考えている。自身・他人が建築と思うもの全てを出来るようになりたいと考えているからだ。
そんな中ふと思ったのが「建築家は自分の定義した建築の中で苦しんでいるのではないか?」ということ。
例えば建築と都市だが、建築の集合が都市だと一般的に考えられるがそれを否定する人もいる。では都市とは何なのか?建築の集合は何になるのか?
他にもコルビュジェは建築の工業化(規格化)を提言したが、それは現在の建売住宅ではないのか?しかし建築家は建売住宅は建築で無いと否定している。美しくないからか?
このように誰が決めたで無い定義の中に縛られていると思う。
そして施主の立場からしたら、そのような定義は問題にしていないのが殆どだと思う。
建築というのはお金を出す施主がいて初めて成り立ち、建築家は施主の要望を満たすために設計をする。もちろんその中で建築家の色を出すことは可能だが、一番は施主の要望を満たすことだと思う。
一般にこの部分を忘れて建築を定義している建築家が多いのではと思う。
大御所と呼ばれる建築家は自分の思ったとおりの建築が出来るかもしれないが、それでもある程度は施主の要望を満たしているはずである。
最近色々と建築に対して考えるが、大元である「建築」を再確認する必要があるのではと思う。