ここにまず「1」があるとします。
この「1」と同じ「1」を足したものを「2(a)」とします。
また「1」を半分にしたもの同士を「1(a)」と「1(b)」とします。
この「1(a)」と「1(b)」を足したものは量としては「1」と出来ますが、数としては「2」です。
これを「2(b)」とします。
「2(a)」と「2(b)」は同じ「2」ですが、違う「2」でもあります。
ここに「2」という意味が二つになりました。
この考え方を踏襲していけば「2」というものは無限に出来ます。
もちろん考え方を変えれば各々の「2」に対して説明が出来ますが、「同じ2が無限に有る」と言う考え方も正しいです。
このような事は様々な事に対して適用できます。
何を原理とするかで結果は変わります。
似たような事で「言葉」があります。
先ほどの「2」を使えば「何を『2』と定義したか?」それによって結果が変わります。
普段使っている「太陽」これも昼間に空に出ているものを「太陽」と定義したから皆が共通認識として通用します。
万一「月」と定義してしまったら、意識の共有は出来ません。
大体において言葉の定義は共通しています。
どんな言語でも昼間に空に昇っているものを「太陽」と言い、夜に空に昇っているものを「月」と言います。
同じ定義をしているので意識は共有できます。
しかし宗教的になりますが「神」の定義は様々です。
ここで意識のずれが生じ、自分の定義を正当化するために争いが生じます。
一方言語で考えるとまた違った結果が生じます。
太陽は日本語で「太陽」ですが、英語では「sun」です。
他の言語になればその数だけ言葉が有ります。
しかしこれらもそれぞれの言葉を定義したものです。
同じように「神」を考えます。
日本語で「神」と言い、英語で「God」と言います。
多言語ではそれぞれの「神」に当たる単語があります。
しかしそれで言い争うことはありません。
このように考えると数少ない定義の違いによって、宗教・思想・哲学と言うものはの数だけ種類が有ると考えられます。
日本の場合は「神様」と言っても沢山有り、殆どの人が宗教と言うものに対しておおらかなので和やかにすんでいます。
「2」と「太陽」と「神」、それぞれ意味は違いますが「日本語」と言う共通項はあります。
何を原理としているか?自分達はその時々によって使い分けています。
出来るだけ同じ原理で話し、争いが無いようにしたいです。