建築をやる目的

最近転職を考えたり、友人と話していたり、仕事でも余裕が出て来たり…
色々な部分で自分が何故建築をやっているのかを考える事が多い。
もちろん建築が職業になっているので純粋に「やっている理由=やっている事」にはならないし、大学を卒業してそのまま何となくやってきた結果が建築だと言う部分も否定出来ない。
ただ建築と言うのはその位置付けがおかしい部分が有って、国内では技術者という位置付けが強いが海外では芸術家というのが殆ど。
なので国内でも海外の考え方が入ってきて、建築が技術なのか芸術なのかはっきりしない部分が有る。
そうなってくると国内でも芸術的な部分が強くなり、思想や哲学的な部分が結構オープンになるので建築をしていると「何故?」と問われる事が多い。
そのような中で基本的な「何故建築をやっているのか?」と言う部分はとても身近に有る疑問だけど、簡単に答えが出ないし、おぼろげな気持ちもその時々で変化するのでなかなか方向性が見えてこなかった。
そんな状態が続いていたのだけど、ふとこの間少し見えてきた感じがした。
具体的にどの様な建物が建てたいとか、思想が有ってそれを表現したいとかは今の所自宅を建てたい以外は何も無いが、それは将来的に色々膨らんでくると思う。
基本的に意思を伝えたい人間だと思うし、人の為に何かを建てたいとか思うかも知れない。
なのでこのまま続けて行けば、建物に対して具体的に意味を持たせた建築をやるようになると思うし、それがそのまま理由になって行くと思う。ただそれがどの様な方向になるかはまだ全然見えていない。
現在おぼろげに見えているのは建物を包む外部空間であり、地域環境。
この間仕事で役所に行く途中に郊外の住宅地の中を歩いた。丁度午後4時頃で子供達は公園や空き地・保育園の園庭などで遊んでいて、母親はその片隅で井戸端会議。その風景はとても自由で小さい頃に自分が遊んでいた懐かしさを思い起こさせた。
個人的な感覚だが、都内などで遊んでいる子供は囲われたマンションの敷地内や自由に出入り出来ない校庭や公園で管理された中で遊んでいる雰囲気が有る。極端に言うと遊ばされている感じ。
それが郊外の住宅街には無くとても心地良かった。
都内などでは防犯などの理由が有るのは理解できるけど自分が育った時はそうでなかった。時代が変わったと言えばそれまでだが、その変化に建築も関わっていると思う。
最近建物を設計している時によく言われるのが「防犯」それこそ過剰な位に部外者を締め出す考えが多い。
しかし単純な比較は出来ないが昔の方が犯罪率は低いはず。
その理由は人間が変わったと言われればそうだけど、建築の周囲との関係性も関わってくると思う。
昔は向こう三軒両隣が親戚みたいな感覚でとてもオープンだった。それこそ鍵を掛けない家もたくさん有ったし。
そして近所と多く関わりを持っていたから違う階層の人とも関わりを持てた。それによって普段では気付かない事や感覚をお互いが提供出来ていた。
それが今は地域として同じ階層の人達が集まって自治体を形成する方向に向かっていると思う。でもそれは個人的に間違った方向なのだと思う。
自分としては昔のように色々な階層の人達が混在する街を造りたい。もちろん格差は有るけどそれこそ最近のゆとり教育などで薄れてきた競争力や他を考える事など気付かないものを気付かせてくれる要素だと思う。
自分としてはそのような街を造る為に建築をやりたいと思った。
具体的に何をする?と言うのは断片的に浮かんでは消えていっている状態でまだ見つかっていないけど。
今後も色々建築をやる理由を思いつき色々考えて行くと思うけど、その一部として格差の有る地域に下から隙間を埋めるように建築で役に立てれば良いと思う。