想像する事

最近特に考え、重要に感じている事は「考える事」「想像する事」です。

仕事をしてある程度はこなせる様になりましたが、やはり知らない事が多すぎる。もちろん全てを知ることは不可能ですが、それでも知ろうと思わなければ学習量は減ります。

物事が起きた時、思いついた時、まずは自分で考える事が重要です。
例えば自分で建物のアイデアを思いついた時に「構造はどうするか?」「設備はどうするか?」など、出来る限り自分で考えます。もちろん構造・設備と専門の技術者に相談しながら設計は進めていくのですが、いきなり相談しては発展的な会話が出来ないし、自身の技術も上がらない。
自分で考える事で「何が分からない」かが分かります。それによって、専門家に聞く時に「何を聞けば良いのか」が判断出来ます。聞かれる方も考えてきている人間に対しての方が説明しやすいです。

考える事をする事によって、自分の足りない所を発見し、それを補うように行動します。
分からない事が有った時に考えずにすぐに人に聞くのも方法ですが、その前に「自分ならこう考える」と一瞬でも思う事で二倍の効果を得られます。そして、相手の回答と自分の考えを照らし合わせる事で「自分との相違」「相手の考え方を学ぶ」「また新たなる疑問」が生まれ、繰り返し考える事で自分の足りない所を埋めていきます。
これの繰り返しが経験だと思います。

小・中・高と学校に通っていた時、特に小学校の時に先生が新しい問題を出した時に「何でも良いからまず考えてみなさい」と言われました。今になって考えてみるととても貴重なきっかけです。もちろん先生は正解や回答を求めていたのではなく、考える事をさせたかったのだと思います。

僕の場合は何故か予備校の数学で同じ事を沢山しました。
解き方を覚えるのではなく、定義を覚えたら後はそれをいかに展開して解くかを教えられました。
なので僕の場合は定義は覚えていても、公式や定理はあまり覚えていません。だけど、自由に考えて回答を導き出すやり方は、その当時は受験と言う目的には不効率だったのかも知れませんが、生活・仕事にはとても貴重です。ある人が「知識は歳を取ってからも本を読めば補えるが、発想は若いうちに育てないと身につかない」と言っていましたが、これはその状態になるととても身にしみます。

先に書いた「考える事」、これも習慣がついていたから、設計で「構造はどうするか?」と言う表面ではなく「材料の性質から考えた構造」などに発展し、「階段の意味」や「部屋の意味」しいては「建築の意味」にまで戻って考えるようになります。また、それ以外でも「何故植物は緑なのか?」「木は線材で使うのか?」「文字は何故黒が普通なのか?」などの、どうでも良いのかもしれませんが既成概念を再検討するようになります。
それらも知識の無い分野は発想するのに時間が掛かりますが、ある程度は目的が「理解」「回答を出す」事でなく「自分はこういう風に考える」で良いので時間が掛かりません。そしてそれを検討したり、他人と照らし合わせば発展していきます。

設計では技術者としての知識や堅実さを求められますが、同時に新しい考え方や適材適所の回答を求められます。場所、時間、人、考えなどが変われば回答が変わり、そもそもそれらは同じ物が無い。即ち毎回考えなければならない。
施主と打ち合わせをしていく中では技術も必要ですが、様々な回答、言い換えると発想の方が重要になっていきます。技術は検討した結果を実現するためなので後から考える事が出来ますが、発想はその場で行わなければ打ち合わせが進まず仕事になりません。

それこそ発想なので打ち合わせのきっかけになれば良い。いきなり完全な案などは出てこないし、求めても出来ない。単純で馬鹿らしい案でも口にして、考えて、検討すれば、それを受けて相手が発想して新たな案が出てくる。そうやって細かい発想をいくつも出した内の一つが結果となって実現されます。設計はその集合体です。

歩いていても、本を読んでいても、テレビを見ていても、何にせよ自分に対して何かをもたらすものに対してはそれについて考える事が出来ます。難しく考えるのではなく、単に「何故?」という気持ちで想像する事が重要でしょう。